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第01回
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第06回
第07回
第08回
第09回
第10回
失われた信頼
治癒力
養生とは?
ホリスティック医学
療養の樹
医療は誰のため?
呼吸法

病院と健康院

モノサシ
第11回
第12回
第13回
第14回
第15回
第16回
第17回
第18回
第19回

「運動」
「病」と「疾患」  
「心」の養生
笑いセラピー
賢い患者学
スワイショウ
「賢い患者学(2)
免疫とは?
免疫活性化のカギは

          

第1回 失われた信頼      
 「もう有効な治療法はありません」「余命六カ月くらいでしょうか」こんな言葉を主治医の先生から告げられ、今俊どうしていいか分からなくなってしまったという、がん患者さんたちが^毎日、私のクリニックに、相談に来られます。
いずれも現代西洋医学の三大治療(手術・抗がん剤・放射線治療)後に再発転移が発見されたり、がんと診断された時には既に治療不能と判定された患者さんたちです。

 厳しい"宣告"をした後も、こうした患者さんの主治医は、通院のたびに「今月も腫瘍マーカーが上がってますね」と言うだけだそうです。
 ある方は「いつも検査データやCT写真ばかり見て、私の顔を見て診察してくれたことはありません」と嘆かれます。そして異口同音に「腫瘍マーカーの数字を聞くたびに気持ちが落ち込む」「あの先生は言い方が冷たくて嫌」「病院へ行く日が憂うつ」と言われるのです。

 今、多くの患者さんの心には、患者が知りたい肝心なことには関心を示さず、黙々と検査や治療を計画・遂行し、ようやく出てきた言葉が「死の宣告」に等しい過酷なことしか言わない医師に対する不満と不信感か渦巻いているようです。

 こうした患看さんの話を聞いているつちに、私はまるでテレビドラマ〃白い巨塔。さながらに、冷たく非失われた信頼情な人間のみが、がんの尊門家になっているような気すらしてしまいます。しかし一方で「本当に日本のがんの専門医は冷酷非情な入ばかりなのだろうか?」という思いも心の内には生じてきます。

「なぜ患者さんの心を凍らせる言葉が、第一線の医師の口から出てくるのか?」「日本の医師は、いつの問に患者さんから嫌がられる存在になってしまったのか」。こんな疑問も尽きません。
 
おそらくこれらの間題の大半は、患者と医師の関係性に根ざしているのでしょう。私たち医師の多くが気づかないうちに、患者さんとの意識のズレが深い溝にまで広がってしまった結果ではないでしょうか。と同時に、根底には二十世紀に著しい進歩を遂げた現代西洋医学の根本的な問題点が横たわっているのかもしれません。.

そこで一度、原点に立ち返り、西洋医学の普遍的ではあっても画一的になりがちな方法論や、日本の医療の仕組みについて考え直してみなければならないと思います。

この連哉で「病気は患菅自身が治癒力を高めることで治る」という”養生”の思想と、「物事をまるごととらえ、つながりでみる」という〃ホリスティック"の考えを基に、生命の尊重だけでなく人間の尊厳を守る医療の在り方や、患者の主体性などについて論じてみたいと考えています。それが、医療現場の信頼性の回復につながることを願ってやみません。
 
 
 第2回
 治癒力     
  昨年猛威を振るった新型肺炎・SARS(重症急性呼吸器症候群)、そして今年の鳥インフルエノザ騒ぎと、世界中で新しい強力な感染症の発生が話題になっています。日本では幸いまだ人の感染例は報告されていません。しかし、いつ患者さんが発生しても、おかしくない状況であることは間違いありません。今後、人類にとって未知の病原体による新たな感染症が年々増加していくと予想ざれています。このような状況下で私たちはどのように対処したらいいのでしょうか?

 まず、行政がすべきこととして、感染発生にかんする情報の収集と伝達、防疫・診療体制の強化、確立などがあります。
では、国民一人ひとりがすべきこと、できることは何でしょうか?対策をすべて国にお任せし、ただ不安がり、おひえているだけでいいはずがありません。

 私は、われわれがすべきことは、それぞれが病気に対する抵抗力や回復力を増強させることだと考えています。
これら生体防衛の力の総称を、かつては「自然治癒力」とか「自然良能」と呼び、「病気は治癒力で自然に治るもの」と考えられていました。ところが近代、西洋医学が急速な進歩を遂げるに伴い「病気は自然治癒するのを待つ必要はなく、医師の技術や薬で治す」という考え方が主流になりました。医学書からも「治癒力」という言葉が消え、いつのまにか死語化してしまいました。

 しかし、私はすべての病気は治療で〃治す"のではなぐ、あくまで患者さん自身の治癒力で〃治る"ものと考えて診療を治癒力しています。毎日、私たちの体内では数千個の前がん細胞やがん細胞が発生しているにもかかわらず、〃がん"という状態にならないのは、なぜでしょうか?

それは「免疫力」を代表とする治癒力のおかげにほかなりません。ナチュラルキラー細胞など免疫機構が異常細胞を見つけ次第、直ちに攻撃・破壊してくれているのです。これを「自然免疫」と呼んでいます。
 ところが、何らかの原因、例えば強いストレスによって免疫力が下がったとき、がん細胞は一気に増大し「発がん」に至ると考えられています。 普段、私たちはこの治癒カの存在を忘れていますが、かぜなど引いた時にその存在を実感されるのではないでしょうか。

 日本呼吸器学会は昨年、診療指針の一つとして「成人気道感染症診療の基本的な考え方」をまとめました。その中に「かぜの考え方と治し方」の項目があります。 要約すると「かぜを治す抗ウイルス薬はないので、軽ければ安静と保温に気をつけ自然治癒を待つ」というものです。つまり「かぜは薬で治すものではなく、自然治癒力で治るもの」という意味です。

 私は指針を読んで「ようやく西洋医学に〃自然治癒"という言葉が復活した」と感慨深いものがありました。新しい感染症におびえる前に、私たち一人ひとりの治癒力を高める自助努力、つまり〃養生"が必要ではないでしょうか。
 
































 
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 第3回 養生とは
 「療養」という言葉があります。私は療養の「療」は私たち医療の尊門家がすべき「診療・治療」の意昧であり、「養」とは患者白身が取り組むべき免疫力など自然治癒力を活性化する「養生」のことだと考えています。
、では、患者さんが中心となり、家族が協力する養生とはどんなことなのでしょうか?

 江戸時代の著名な儒学者、貝原益軒は「養生訓」を著し、日々の生活における具体的な養生法を説いています。この本には、人生を健やかにイキイキと生きるための知恵と倫理がわかりやすく、端的に述べられています。

益軒が説く"養生の道"とは、「身を損なうものを取り去ること」です。まず「内欲」と呼ばれる三欲(飲食・好色・睡眠)および饒舌慾(じょうぜつ)と七情(喜・怒・憂・忠・悲・恐・驚)を憤むこと。「外邪」と呼ばれる天の四気(風・寒・暑・湿)を防ぐこと。そして適度に広一を動かし、心を常に和楽に保って日々を過ごすこととしています。このように、明治になって近代西洋医学が導入される前の日本では、庶民にとっては〃病気にならないための知恵"としての養生がきわめて重要でした。養生とは?

日本のみならず、近代西洋医学の恩恵に浴する以前の世界でも、古今東西を間わず、養生を守って生活していたわけです。.しかし、現代人は"病気を治すための知恵"である近代西洋医学の多大な恩恵に浴している間に、養生の大切さをすっかり忘れてしまいました。

 養生とは、その字のごとく、「生(いのち)を養う」ことであり、生とはライフ(LIFE)つまり生命であり、生活であり、人生のことです。したがって、養生法とは単なる健康法のことではなく、私たち一人ひとりの生命、生活、人生すべての養い方、過ごし方、生き方の知恵の総称です。

その意味で、養生法は健康だと思っている人(健康人)ばかりでなく、健康に不安のある人(半僅康人)、健診や人間ドックで肝機能異常や高脂血症などを指摘された半病人といえる人、さらには闘病中の方(病人)まで、すべての人を対象にしたものなのです。

 患者さんの中には{検診や人問ドックで問題なし、検査で異常なしと言われても、ため息をつきながら不安な日々を過ごしている方がみえます。かと思えば、たとえ末期がんと告知されたとしても、毎旧を感謝しながらイキイキ元気に生きている方もおられます。

このように、私たちの「いのち」というものは医師から異常なしと言われたからOKで、病気だからダメだというほど単純な存在ではないのです。

 「養生」と、二十一世紀のキーワードの一つである「QOL」(生活の質)」の向上とはまったく同じ意昧です。つまり、養生すると自然治癒力(自巳治癒力)が活性化され、その結果QOLが向上して、イキイキ元気になるというわけなのです。




































 
  
  4回 ホリスティック医学
 現代西洋医学は、二十世紀の近代科学の飛躍的な発達とともに、目覚ましい進歩を遂げました。
その進歩は平均寿命の延長など、人類に多大な恩恵をもたらし続けています。一方で、西洋医学が得意としない病気も増加していて、進歩の陰に置き忘れられたものが次第に明らかになってきました。
西洋医学は、細菌感染症や外傷のように、原因が患者の外部にある外因性の病気や急性の心疾患、脳血管障害などに、その本領を遺憾なく発揮します。

 しかし、内因性疾患であるがんや、糖尿病などの生活習憤病、ストレス社会・高齢化社会を反映して急増している心身症や老人性痴呆症などに対しては有効性が高いとは残念ながら言えません。また、連日報道される医療事故に象徴される医療不信の時代にあって、医療の原点である医の倫理が、医学や医療技術の進歩と同じように向上してきたかどうかは疑問の残るところでしょう。このように、機械論的な生命観に基づき、局所をゐつめる西洋医学の限界性や間題占誠明らかになるにしたがい、ホリスティック医学が注目され始めました。

「ホリスティック」とは、ギリシャ語のホロス(全体)を語源とした言葉です。ものごとを全体的、包括的に、つまり〃まるごとに"とらえるという意昧の英語です。したがって、ホリスティックに見た人間とは、身体だけでなく心や精神(たましい)、環境(自然環境や人問関係などの社会環境も含む)が有機的につながり、統合された存在であると考えます。ホリスティック医学

また、ホリスティックな健康とは身体、心、精神、まわりの環境などがそれぞれ切り離されることなく、たとえ部分的に間題があっても全体としてある調和的なバランスを保っtいる状態であり、病気とはそのバランスが崩れている状態のことを意昧します。

ホリスティック医学は、このホリスティックな考え方を持った医学の意味です。人間や病気を局所的-分析的ではなく、全体的・包括的にまるごとにみつめる医学のことであり、特定の医学体系を指すわけではありません。

実際には統合的な医療と全人的な医療という二つの側面があります。統合的な医療とは、西洋医学を基本としながら、その診療の弱点を補完・代替するために心身医学や東洋医学などの伝統医学、例えばハリ、漢方といった中国医学や民問療法の得意分野を包括的に統合したものです。

一方、全人的な医療とは、治療医学に加えて予防医学を、キュア(治療)に加えてケア(援助・癒やし)を璽視し、生命倫理も考慮したトータルな存在としての患者の人格や主体性を尊重する医療のことです。

二十一世紀の医療には、普遍性と標準化を求めるあまり、画一的になり人間不在に陥りがちな西洋医学の欠点を補う医療が必要です。その意昧でも私は、人の多様性と個別性を重視し「人間の尊厳」を第一に考えるホリスティック医学が必要不可欠になると考えています。


 































 
  
   第5回 療養の樹
 「療養」のうち、「養」にあたる養生とは、患者自身が取り組むべき免疫力などの自然治癒力を活性化することです。今回は「療」つまり私たち医療の専門家がすべき診療・治療と養生との関係について考えてみます。イラストにある「療養の樹」に例えてみましょう。この樹には毎年、見事な花が咲き、実がなります。一番下は「西洋医学」という太い、立派な枝で、大きく校を広げ、花も満開です。その上には、「東洋医学」という枝が伸びています。一番上には「補完・代替医療」という枝がありますが、その枝ぶりも花もまだまだです。療養の木

さて、この三本の枝の幹と根の部分は、「養生」と呼ばれています。上から「体」「食」「息.(呼吸)」そして根元は「心」です。

 療養の樹の根である「心」はさらに地中深くまで伸びています。土の中は「潜在意識」あるいは「無意識」と呼ばれています。療養の樹の枝がしっかり伸び、見事な花が咲き、大きな実がなるには、根が栄養分を地中から十分吸い取り、大い幹を通ってそれぞれの枝まで運ばねばなりません。「潜在意識」という土に「心」という根がしっかりはり「体」「食」「息」という幹が太くなければ、西洋医学も東洋医学も、補完・代替医療という枝も枯れてしまうのです。

つまり、根と幹にあたる養生こそが、自然治癒力を活性化するのです。私は、西洋医学などの治療の効果はすべてこの治癒力次第と考えています。療養は、本来医療の基本のはずですが、現代医学では「療」のカに重きが置かれすぎています。

 残念ですが「療」の効果を決める「養」に対して、医療者のみならず患者さんも家族も関心が薄いのが実情です。なお、心というとき、通常は自ら意識できる「顕在(表層)意識」と意識できない「潜在意識」の両方を意味します。もちろん、この二つの意識を厳密に区分することはできません。そこで私は患者さんに療養の必要性を伝える際、便宣上「心」とは自ら意識できる領域、「潜在意識」とは自分では意識できない領域と分けて説明しています。

 私のクリニツクでは、この「療養」の樹の考え方にしたがりて療養計画表というカルテをつくり、私たち医療者が担当する「治療」と患者さんと家族が担当する「養生」についてお互いに確認、相談しながら、適宣アドバイスしています。また、ちまたには健康食晶に関する構報がはんらんしています。そういった情報に混乱状態に陥っている方にはそれらの特徴や作用のメカニズムについて、私の知識と経験の範囲内で相談に乗っています。.ただし、健康食晶も薬、と同様に、日々の養生によって治癒カが活性化されない限り、その効果が表れないか、一時的でしかないことを忘れないでほしいと思います。

































 
  
  第6回  医療は誰のため?
 主治医から「西洋医学的には治療不能」と宣告されたがん患者さんに、私は標準的な診療に加え、免疫力、治癒カの活性化を目的としたホリスティックな補完・代替医療や養生法の指導をしています。特に心のサポートには力を入れています。

 私が西洋医学だけでは不充分だと感じ、ホリスティック医学と言う人間全体を見つめる医学に関心を持ったのは十数年前のことです。当時、私は総合病院で消化器疾患の診療をしながら、内視鏡やレーザーによるがんの治療法の開発に情熱を燃やしていました。

 ある手術不能と判定された悪性度の高いスキルス胃がんの患者さんがおられました。がんからくる持続性出血に対し、レーザ止血や抗がん剤治療を積極的に行い救命に成功しました。かなりの延命が得られましたが、最終的には亡くなられました。

葬儀の後、奥さまがお礼のあいさつに釆られ、こう言われました。主人は、レーザー治療で劇的に回復した時は大変喜んでいました。が、治療が繰り返されるにつれ、最後は『ありがたいけれど、本当につらい』と言いながら亡くなりました。私も副作用の強い抗がん剤や内視鏡治療も、我慢して受け続ければ命が助かるのではないかと嫌がる主人を叱陀激励していましたが、亡くなってしまった今、結局は苦しむ時閻を長引かせたようで本当につらく、複雑な気持ちでいっぱいです。

丁寧な言葉の中に無念の思いをにじませる奥さまを見ながら、私は暗然としてその場に立ち尽くしていました。それは、私の医師としての人生における夕ーニングポイントになった言葉でした。

医療は誰の為 近代西洋医学を遂行する医師として、私たちのとった医療に大きな誤りやミスはなかったと今でも信じています。末期がん患者さんの経過として、決して珍しいケースではなかったと思います。

しかし、それはあくまで西洋医学を行う「医師」としての見方にすぎず、「患者」の立場からの視点ではありません。私の心の中に「自分たちが行った医療とは何だったのか。医療とは一体だれのためのものなのか?」という疑問が生じてきました。

 近代西洋医学は科学的客観性を基に「病人」という主観的な存在から「病気」という客観的なものを切り離すことにより、標準化が可能になり飛躍的な進歩を遂げました。半面、普遍性を求めるあまり、画一的になり本来、病人のためにあるべき医療が病気を扱う医療者中心になり、患者の個別性や主体性への配慮が欠けた対応になる傾向があります。

 これは昨今の医療不信や医療事故の多発とも無縁ではないと思います。西洋医学という「診療システム」は構造上、医療者主体に構築されているため、患者の主体性を制限せざるを得ない面が多いのです。

以来、患者が医療に主体的にかかわるにはどうすべきか、が私の課題になり、西洋医学の弱点を補う補完・代替医療の導入と患者が主体的に行う養生の指導という現在の「療養のしくみ」が徐々にできてきたのです。


































 
  
第7回 呼吸法
「療養の樹」(第5回)でも説明しましたが、私は治癒力を活性化し元気になる養生の方法を、「患」「食」「体」「心」の四つに分けています。今回は養生の基本中の基本である。「息の養生」、呼吸法についてお話しします。呼吸は、自律神経(交感神経と副交感神経)によってコントロールされています。そのため、睡眠中など特に意識していない状態でも呼吸が止まることはありません。

 一方、意識的に呼吸の杁態を変えることもできます。これは心臓や消化冒の動きなど、意識的なコン十ロールができないほかの生理機能とは異なる、呼吸のもつ不思議な特性なのです。この特性を生かして、呼吸を意識に調える(調息)ことで、身体を調え(調身)、さらには心を調えることが「呼吸壮体」の目的です。呼吸法のうちでも、腹式呼吸をすると副交感神が活性化され身体が落ち着きます。身体がリラックスしてくると、心も落ち着いてくることから、呼吸法は心身の安定法、リラックス法になります。
呼吸法
 腹式呼吸は腹筋を使って横隔膜を大きく伸縮させ、肺に空気を十分に取り込み排出する方法です。腹式呼吸は普通の深呼吸と異なり、息を吸うことよりも吐くことを意識して行います。この場合こ留意すべき点は、身体から二酸化炭素とともに不必要なものをすべて(身体だけでなく心からも)吐き出すようにイメージし、吸う息の倍の時問をかけて、ゆっくりと長く吐き切ることです。

 ”長い息”は「長生き」にも通じます。呼吸法の重要性は、古今東西の養生法(日本の座禅、中国の気功、インドのヨガや瞑想)や治療法(自律訓練法、イメージ療法)で、触れていないものがないことからも明らかです。しかし、現代人は生命のるものすべてにとってまさに死活問題であり心身の健康のカギを握っている呼吸の重要性に、あまり気づいていないのではないでしょうか。

 私は養生の第一に呼吸法を挙げて、患者さんや家族の方々に普通の腹式呼吸、さらには腹式呼吸に太極拳の基本動作である「調養功」という医療気功を組み合わせた、私オリジナルの「養生呼吸法」を指導しています。養生呼吸法は、朝起きて太陽に向かって一回、夜寝る前に一回と、一日.最低二回してもらっています。特に、就寝前に布団やベッドの上で一人、静かに行うと、身体そして心がリラツクスします。

心身が十分リラックスしたと感じたら、その後に潜在意識レベルに働きかける瞑想を行います。
腹式呼吸と瞑想をしてから就寝すると、がん患者さんに多い不眠状態が改善したり、死の不安が軽減されるようです。
私は「息の養生」である呼吸法を心身リラックスのための技法として覚えてもらっています。































 
  
  第8回 病院と健康院
 私は現代西洋医学の果たすべき働きを「病院」、ホリスティック医学の働きを「健康院」と名づけています。これらは医療の望ましい姿を機能的に大きくニつに分けてみたものです。「病院」と「健康院」は補完し合うために同じスペースに並立してあることが理想的です。
二つの違いは"モノサシの違いです。治すモノサシと生き方のモノサシと言い換えることもできます。

 現代西洋医学による「病院」とは病気を治すことを月的に、主に社会的存在としての人間の客観的病気(疾患・疾病)を対象とします。ここでは生命の尊重を第一に、精度の高い診断と最適な治療を行います。速やかに病気を治し、患者の一日も早い社会復帰を図ひます。このため医療者が最大の努力をし、それに患者と家族が協カするところです。常に最高の医療をめざし機能性と効率性を重視するためピラミツド型の"一方向的"な組織にならざるをえません。医師、看護師、患者という役割と責任分担を明確にしておく必要があるからです。

「病院」は西津医学が得意とする、救命救急医療、急性期医療のほか、短期滞在型医療、身体的・苦痛の強い状態などの診療に適しています。ただ、効率的で精度は高いものの、マニュアル重視なためレディメード的で、“定食”風の画一的な医療になりがちです。病院と健康院一方、ホリスティック医学による「健康院」は単に病気の診療を目的としたところではありません。人間の尊厳を第一に主に個としての人間の主観的病気(病い)を対象とし、病者の人生観、価値観を最大限に尊重した医療や癒やしの実現をめざします。.

 病者を中心に医療者、家族、療法家、病者同士が協力、援助する場所です。効率第一主義ではなく医師、看護師、患者という役割よりも互いの関係性を重視したネットワーク型の仕組みです。ここではシステムより個人が優先されます。ピラミッド型の仕組みゆえに切り離されていた"つながり"が回復します。病者のみならずそこにかかわるすべての人が癒やし癒やされる場を創造するところです。

「健康院」の場合、責任や役割分担が固定的でなく流動的です。時には年老いたがん患者さんが若い看護師の心の悩みを聞いたり、状態のよい患者さんが悪い患者さんの世話をしたりといった〃双方向的"な状況が生まれるわけです。

また、医療だけではなく環境つまり衣食住の調和や一人ひとりの多様な価値観を重視するため、常に最善ではなく時には次善の医療や生き方を選択することもあります。「健康院」は老年期の退行疾患、心身症や精神的苦痛の強い状態など西洋医学が不得意な疾患や慢性期・終末期医療、長期滞在型医療などに適しています。さらには看護・介護サービス施設、はり・きゅうなどの東洋医学を含めたホリスティックな療養施設がその役割を担うことになると思います。 






























  
  
 第9回  食

 現代は"飽食の時代"といわれ、栄養たっぷりで豊富な食材があり余っています。しかし、食生活のバランスのひずみが、さまざまな「生活習憤病」という形で表れており、がんもその一つでしよう。「食の養生」は「息(呼吸)の養生」と並んで養生の基本です。特に、がん患者さんにとって、食の養生は療養の結果を左右するほど重要です。

 食も呼吸も、食べる(吸つ)ことばかりでなく、俳せつする(吐く)ことが大切です。現代人は"入れること"には熱心ですが"出すこと"には無頓看で、このバランスのひずみが生活習慣病やがんの発病の大きな要因になっていると思います。
今回はがんの食養生についてお話します。

がんの食養生の目的は、東洋医学的には食を通じてのがん体質の改善です。西洋医学的には消化器機能の中で消化・吸収に力点が置かれていた促来の食事指導に加え、排せつにも注目するものです。ことに消化管運動の停滞である「便秘」の解消を重要視しています。腸管環境の正常化をめざし食物繊維の多いもの、腸内細菌中のビフィズス菌など善玉菌を活性佗する食材を豊富に含む食事が中心になります。

実際には「穀菜食」と呼ぶ、白米のように精白した穀物ばかりでなく、はいが玄米や胚芽米、麦などを主食とします。副食としては緑黄色野菜や豆類などの野菜(特に根菜類)、キノコ類と海藻を中心として、みそ、しょうゆ、納豆などの自然発酵させた食品も加えた穀菜食主体の食事内容にします。食

.もちろん、タンパク質を十分に摂るには卵、魚類、肉類、乳製晶なども必要です。ただし、がん患者さんでは腸管内で腐敗しやすい動物性タンパク質は最小限にして魚類や豆腐、納豆、大豆、ソラマメなどの豆類、シジミなどの貝類から摂るようにしたいものです。また「一物全体」というように、野菜でも魚でもまるごと食べられるものを選ぶようにし、できれぱ〃旬のもの"を摂るように心がけたいものです。

食品添加物や残留農薬の人ったものや加工食品は趣力避け、無添加食品、無農薬あるいは低農薬の新鮮な食材を選ぶようにしましょう。調味料も精製された白砂糖や精製塩ばかりでなく、黒砂糟やみりん、天然塩なども使って調理したいものです。なお、過食や偏食であったり、動物性のタンパク質や脂質を好む西欧化した食生活をしてきた患者さんには、玄米菜食や小食療法、半断食法も有効な場合があります。

食の悪循環を断ち、体質改造を目指すものですが、飽食になれきった身体と心に"喝"を入れる意昧合いもあり、一度試す価値はあります。ただ、自分勝手なやり方ではなく医師や栄養士など専門家の指導が必要です。

「食の養生」では食材選びだけではなく一口、一口ゆっくり、よく噛んで感謝しながら食べることや、個食(孤食)を避け家族そろって食卓を囲み、和気あいあいとたのしく食べるなど、食べ方や食事の雰囲気にも留意する必要があるでしょう。 
































 
 
 第10回 モノサシ
ホリスティック医学を知って以来、私は東西の医学の違いについて考えてみました。結果、それぞれ当てる「モノサシ」が違うことに気づきました。東西の医療観の違いは、当然ながら東洋と西洋の自然観、生命観の違いに帰するものです。
西洋医学には、生きるためには獲物をいち早く見つけ捕まえ殺すという〃狩猟民族"的な発想がべースにあります。病気に対しても早期に発見して早期に治療する方法が発達しました。放射線や内視鏡の診断・治療の著しい進歩、細菌やがんを殺すための抗生物質や抗がん剤の開発が典型です。ここには、自然は人問にとって過酷な存在で克服すべきものだという西洋的な自然観があります。

一方、束洋医学には、例えば畑を荒らすイノシシを見つけた場合、捕まえて殺すこともできるが、イノシシが畑を荒らせないように周りに囲いを作るという"農耕民族"的発想があると思います。殺す治療よりも守る医療としてさまざまな養生法が発達しました。養生は自然治癒カやバランスを重視する考え方です。目然は恵みであり、人間ど調和できるものという目然観が基本にあるようです。

西洋医学は心身ニ元論に根ざし要素還元的で機械論的な思考をします。一方、東洋医学では身心一如、霊肉二兀論に基づさ包括的・全一的で観念論的な思弁をします、また、取り扱う対象が西洋医学では目に見える測定可能な数量化ができるものに限られますが、束洋医学では「気」など目に見えない数量化ができないものも扱います。

酋洋医学では「病気は悪で排除すべき忌むべきもの」、医療者にとって死は敗北であり、生老病死は治療によって変更可能なものと考えます。東洋医学では「病気とは必ずしも悪でなく、時には気づきを与えてくれるもの」です。ものさし
持病という言葉があるように病気と共存することも重要で、病は人生の大切なプロセスの一つであり生老病死は白然の理と考えます。

西洋医学は客観的に診断した病気を対象として、その症状を治し寿命を延ばすことが治療の最大の目的です。東洋医学は病人を対象とし、その目的は白然治癒力により体調が好転し治癒に向かうのを手助けすることで、寿命は超えられないと考えます。

西洋医学の病気の診療は、人問を身体と心に分け、身体を臓器から遺伝子、分子にまで細分化し、科学的で精度の高い手法を用いて病気の原因を診断し、病名に従って定められた治療をします。一方、東洋医学は病気を体内のバランスの異常ととらえ、自然治癒力を高めて人間全体のひずみを是正することが病気の診療です。病態の把握を重要視し、患者ごとにその病態に応じた対処法を選択します。

 現代の医療は、病気は悪で死は敗北だとする西洋医学の〃モノサシ"で計られています。そのモノサシからはみだしてしまった西洋医学的に治癒不能と言われたがん患者さんには、東洋医学のように異なったモノサシが必要ではないでしょうか。


  
第11回 「運動」
 世の中には西洋的な健康法以外にも、東洋的な養生法をはじめ、さまざまな伝統的な「体」の養生法があります。これらの中で西洋の代表的な"動的"な養生法は各種スポーツや山登り、ハイキングなどです。また、毎日一人でできる養生という観点ではウオーキングやサイクリング、ストレッチング、リズム体操などがあります。

 静的"なものとしては西洋マッサージ、アロマセラピー(芳香療法)、リフレクソロジi(足裏療法)などがあります。"動的"な養生、つまり白分で身体を適度に動かすことの重要性は、あらためて言う必要がないほど周知のことです。西洋的な「運動」の特傲は心肺機能の強化です。特に心臓・動脈系を強化し、肺活量を増加させ、筋力を鍛える方法が多いため、身体の筋力、敏しょう性、全身の持久刀の向上が計られます。「パワー」と「スピート」の向上と言い換えてもいいでしよう。
 
 現代人の頭の中には、「運動して汗をかくことは健康にいい」とか、「スポーツは心身に健康をもたらすLといったように西洋的な「運動」や「スポーツ」に対する健康神話が根強くあります。ところが、健康のための運動やスポーツのはずが、つい「パワー」と「スピード」を求めすぎて無理をしたり、やりすぎて思いがけない関節や筋肉のケガや心肺系の病気の元になることも珍しくはありません。.スポーツ選手の多くが身体を傷めており、意外に短命の人も多いことがそれを裏づけています。
運動
一方、東洋的な"動的"な養生法の代表は太極拳、気功、ヨガなどです。日本にも西式健康法、操体法、真向法などがあります。"静的"なものとしてはビワの葉温熱療法、ツボ療法、指圧・按摩など紹介し始めたらキリがないほどたくさんあります。

これら東洋的な「運動」の特徴は心肺機能でいえば、いかに血液をスムーズに毛細血管・静脈系から心臓に戻すか、いかに多く酸素を吸うかよりもいかに多くの二酸化炭素を吐き出すかという"還流と排せつ"を重視します。そこで身体の強さよりも柔軟性と平衡性つまり「バランス」を大切にしている点が特徴です。

 近年の科学的な研究は気功やヨガの手足の微小値環の改善効果、太極拳の動きや形の力学的な合埋性を実証し始めています。特に太極拳による病気療養やリハビリ応用は興味深い研究テーマとして注目されています。

 このように、西洋的な「運動」のみならず東洋的な「運動」の持つ特性にも目を向ける必要があります。それぞれの「運動」の目指すところを一言で言えば、"よりたくましく〃と"よりしなやかに"になるでしょう。これらは、いずれも私たちの「体」の養生にはかかせない要素ですが、中高年の方々や患者さんにとっては〃よりしなやかに"を目指す養生の方が合っていると思います。二十一世紀は西洋と東洋、それぞれの特徴を生かした「体の養生」が求められる時代になるのではないでしょうか?

  

第12回 「病」と「疾患」

日常生活の中では、「病」も「疾患」も同じような意味で使われていますが、医療人類学という学問では、はっきり区別されています。「病」は英語で「イルネス」といい、文化的な概愈であり、きわめて個人的・主観的なものを指し、自分で異常を感じる状態のことです。一方、「疾患」あるいは「疾病」は「ディジーズ」といい、これは病理学的な慨念であり、客観的に、例えば医師によって診断、命名されるもののことです。

そこで、どこか調子が悪いと白分で異常(病)を感じても、病院で検査してもらったら、「数値的には正常範囲ですから、どこも悪くないですよ」と疾患はないと判断されホッとする半面、何かスッキリしない感じを持った場合が「病」にあたると思います。ちなみに、ディジーズとはディスイーズの意昧で、イーズ(気持ちよさ、やすらぎ)のない状態のことをいいます。

実際に、私が体験したことをお話しましよう。十五年前から私は「がん治療のホリスティックなアプローチ」という、試行錯誤に近い診療を始めました。次々と来院される患者さんは、主治医から治療法がないとサジを投げられた"がん難民"と表現するしかない方たちでした。行き場を失った患者さんたちと深くかかわり、その苦痛と替脳に満ちた言葉を聞き、一人ひとり異なる療養の道を一緒に探る日・々を送っていました。

五年ほどたったころ、私は数カ月にわたり体調が悪く、どこかははっきりしないが「病んでいる」という感じが続きました。血液生化学や画像診断など一通りの西洋医学の検査はしたのですが、特に異常はみつかりれる患者さんは、主治医から治療法がないとサジを投げられた"がん難民"と表現するしかない方たちでした。行き場を失った患者さんたちと深くかかわり、その苦痛と替脳に満ちた言葉を聞き、一人ひとり異なる療養の道を一緒に探る日・々を送っていました。病と疾患

五年ほどたったころ、私は数カ月にわたり体調が悪く、どこかははっきりしないが「病んでいる」という感じが続きました。血液生化学や画像診断など一通りの西洋医学の検査はしたのですが、特に異常はみつかりません。それでも、「調子が悪い、何か違う、どこかおかしい」という感じがずっととれなかったのです。

そんな折、ホリスティック医学の関係で知り合った東洋医学や補完・代替医療の先生たちに診てもらったところ、西洋医学的には異常がなかった「膵臓(すいぞう)と肝臓が弱っている」という見立てでした。日々の忙しさに追われ慢性の睡眠と運動不足、ストレスはたまる一方。〃医者の不養生"そのものでした。毎晩酒を過飲することで心身の疲労を忘れ、ストレスを発散させていたのかもしれません。

その時、・たとえ西洋医学の検査の結果が正常範囲でも過労とアルコールによる軽度の肝臓と膵臓の潜在的な機能障害、いわゆる"未病"の状態にあるなと直感的にわかったのです。そこで、太極拳など各種の養生法を組み合わせた私独自の養生法を創案して実践したところ、不快感は徐々に消えていきました。

自分の中にある「どこかおかしい」という主観的な病んだ感覚には西洋医学の「異常なし」という客観的な診断結果ではなく、東洋医学や補完・代替医療家の見立ての方がびったり合ったわけです。この「病んでいること」と「疾患があること」は別物であると気づけたことは「病」と「疾患・疾病」の違いを理屈ではなく体感できたという意味で私にとって大変貴重な経験になったのでした。

  

第13回
  「心」の養生
 現代社会は、別名"ストレス社会〃と呼ばれるほど、ストレスが充満しています。この非常に生きづらい社会を、イキイキ元気に生きるためには「心の養生」が欠かせません。
「心の養生」は、すべての養生や診療の"根っこ〃にあたる最も重要なものです。ことに、がんの患者さんには身体的な苦痛だけでなく精神的な苦脳が伴います。20〜40%の方がうつ状態にあるといわれ、精神的ストレスにどう対処するかは大問題です。

そこで、がんなどの難病の患者さんに対しては身体の治療と並行して心のケアが十分になされなければなりません。と同時に、患者さん自身も医療者まかせにせず、自分でできる範囲の「心の養生」を実践すべきでしょう。
さて、近年の「精神・神経・免疫・内分泌学」という学問の発達は、私たちの精神(心)と身体の神経系、免疫系、内分泌系などが緊密なネットワークを形成していることを明らかにしました。かつては別々に働いていると考えられていたこれらがそれぞれ密接な関係にあり、互いに強く影響しあっているのです。心の養生

私たちの身体は内外からのさまざまなストレスを受けると、これらの機能をフルに働かせて生体のホメオスターシス(恒常性)を保とうとします。その際、精神、つまり心の状態が身体に大きな影響を与えるということです。心の状態が良くなると痛みなど神経の症状、ホルモンのバランス、免疫の働きのすべてが良い方向に向かい、逆に心が暗くネガティブになると、いずれも悪い方向に向かうわけです。
反対に、これらの身体の機能が心の状態にも強い影響を及ぼします。

このように、精神・神経・免疫学・内分泌学によって、東洋では"病は気から"とか"身心一如"といい、西洋では〃心身相関"と表現される、心と身体の緊密なネットワiクの存在が学間的に裏づけられつつあります。また、がんという身体の病気にも心の状態の影響が大きいことから「精神腫瘍(しゅよう)学」という新しい学間が誕生しました。

私も早くから、がん患者さんの心のケアの重要性に着目し、さまざまな「心の養生」を診療に取り入れてきました。たとえば、呼吸法(腹式呼吸・養生呼吸)を使った瞑想、カウンセリング、グループサポートの会、陶芸によるアートセラピーや."笑いセラピー"という変わったセラピーもあります。また、芳村思風先生の〃感性論哲学"の講義も優れた「心の養生」の一つと考えています。

このほか、潜在意識へのアプローチも含めた「心の養生」としては自律訓練法、祈り、サイコセラピー、カラーセラピー、ミュージツクセラピーなど西洋的なものや座禅、内観、読経、写経、書道、華道、茶道、香道など東洋的なものまで多数あります。「心の養生」は、新しい学問がその重要性を実証したように、がんのみならず、あらゆる病気の『療養』の土台として非常に大切なものなのです。
次回は"笑いセラピー"についてお話します。

  

第14回
 笑いセラピー
 私は免疫機能の指標として、免疫リンパ球の代表であるナチュラル・キラー細胞(NK細胞)の活性を重要視しています。NK細胞は別各「動く脳」と呼ばれ、その活性(NK活性)と心の状態との相関関係が明らかになりつつあります。
 私のクリニックでは、"笑いセラピー〃と名づけた、芸人さんの漫談や落語などを聴く会を定期的に開いています。

 このセラピーは、笑いやユーモアが患者さんの免疫力を高めるという「精神・神経・免疫学」の研究結果を基にした免疫強化療法の一つです。笑いの効用についての私の漫談風(?)の解説のあと、笑いのプロの芸を楽しみ、大いに笑っていただき、患者さんたちが白分のNK活性の変化から笑いやユーモアの効果を実感してもらうものです。

 五年前にはお笑い演芸の殿堂である大須演芸場を借り切って、笑いセラピー前後の患者さんやボランティアの方のNK活性の変化を測定する実験を行いました。その結果、実験参加者十一人中八人(73%)のNK活性が、笑う前より後で上昇したのです。中には数値が32%から58%ど借近くにはね上がった万もおられました。

 NK沽性の数値は30ー40%(がん細胞の三、四割を殺せるカ)の人が多いのですが、事前には五人しか上回っていなかったものが、三時問後には七人に増加していました。たかだか三時間おなかを抱えて大笑いしただけで、七割以上の人の免疫細胞の働きが高まったという事実は注目に値するのではないでしょうか。
笑いセラピー

 「笑い」の免疫力への影響については数多くの医学的な研究が行われ、笑いやポジティブな気持ちが免疫力を増強することがわかってきました。この他にも笑うことにより脳機能が活性化されて"ぼけ防止"になったり、関節リウマチの痛みを鎮める効果もあります。大笑いする時には腹筋を使うため内臓の"ジョギング効果"にもなります。そして何といっても、笑いの第一の効用は心身のリラックス作用でしよう。

 一方、悲しみやむなしさなどネガティブな感情の持続がNK細胞活性を低下させるというデー夕もあり、いかに人の免疫カがストレスの影響を受けやすいものかがわかります。
 笑いと医療といえば、世界中を笑いと感動の渦に巻き込み、現代の医療の問題点を浮き上がらせた映画「パッチ・アダムス」を思い出された方もおられるでしょう。この映画は笑いが人の心や病気をいやすことに気づいた医師の波乱万丈の半生記を描いたものです。

  主人公である実在のアメリカ人医師、ハンター・アダムス先生は医療の基本が「愛とユーモア」であり「笑いと笑顔」が最高にして最大の診療行為であることを実証してみせたのです。いま、日本の医療の現場には笑いと笑顔が不足しています。ストレスがいっぱいの現代社会をイキイキ元気に朗らかに生きるためには、お金も手間もかからない笑いや笑顔が必要不可欠ではないでしょうか?「笑い」こそ「心の養生」の基本だと思うのです。

  

第15回
 賢い患者学
 最近『患者学」という言葉を耳にします。この言葉には、医療者任せで受け身の患者に、精神的自立と賢い行動を求めるとともに、医療者主体の現代医療に対する批判の饗きも感じます。では、そもそも「患者」とはどんな存在なのでしょうか?

 医療杜会学では「病人」と「患者」を明確に区別しています。どこか病んでいると"自分で感じている状態"を「病(やまい)」、病を持った人を「病人」と呼びます。「病人」が医療機関へ行って「医師」によって病名を診断.・命名され初めて「疾患」を持った人である「患者」になります。

 病人が医療機関を訪れ、医師に診療を依頼すること、つまり契約を結んだ時から「病人」は「患者」となるのです。言い換えれば、患者とは病人が医療のシステムの中で果たすべき〃役割"です。現代西津医学とは、医師は医師の、看護師は看護師の、患者は患者の役割を相互に忠実に果たすことによってのみ成立する"しくみ"といえましよう。

 病院で「いい患者さん」と呼ばれるのは患者らしい人のことです。一方、患者らしくない、例えば元気いっぱいの人は「悪い患者さん」になる。この場合の「いい・悪い」の判断基準は患者という役割を忠実に果たしている人とそうでない人の違いに過ぎません。

 余談ですが、患者を指す英語「ペイシェント」は、ほかに"忍耐強い"という意味があります。患者さんの置かれた状況を暗示してはいませんか。ところで、ケガをして入院している患者は、普通は自分が「病んでいる」一とも「疾患がある」とも思っていません。単に「ケガをした」と思っているだけです。しかし、病院では、ケガでもガンでも、毎日医師や看護師が回診や検温・採血に来ます。賢い患者学

たとえば朝、体温が37,2度あったら、看護師は医師にそう報告し、回診に来た医師は患者にこう尋ねるでしょう。「○○さん、微熱がありますが、具合の悪いことはないですか?」
「別に調子は悪くはないですが、言われれば熱っぼい感じはします」
「では念のために血液検査しましょうか」
わずかな異常所見から疾患を迅速に診断し適切な治療を行うことは西洋医学としては当たり前であり、患者は原因解明のため一連の検査を受けることになります。医療者の職業意識から始まる診療システムのベルトコンベヤーに、患者は知らず知らずのうちに乗っていくわけです。

そして、結果はどうであれ、入院当初は「白分はケガで動けないけど、心身は元気なんだ」と思っていた患者も一カ月もしないうちに、どこかに「疾患」を抱えた「患者らしい患者さん」になっているかもしれません。これが西洋医学の診療の構造であり、『病院』に"イキイキ、元気な患者"が存在しにくい理由ではないでしょうか?

 『病院』とは、基本的に医師や看護師など医療者が患者に医療行為を一方向的に施すところです。「患者」という存在は医療者から診療を受ける以上、変な話、"依存的で病んだ感じ"でないと役割を果たしづらいのかもしれません。賢い患者になるためにも、この西洋医学の構造的な特質を知った上で診療を受ける時代になったのではないでしょうか。


  
 第16回  スワイショウ
 今回は、私が体の養生の基本動作として患者さんに指導している「スワイショウ」について解説します。これは、以前、私か「『病』と『疾患』」でお伝えしたように、私自身が"未病"の状態から脱するために行った体の養生の一つです。。

スワイショウは太極拳や気功の準備運動ですが、いつでも、どこでも誰でもできる非常に簡単な体操のような動きです。スワイショウを紹介する前に,まず太極拳についてお話ししましよう。

「太極拳とは?」ときかれた時、皆さんはどのようなイメージを持たれるでしようか?
ゆっくりした踊りのような動きをイメージしたり、格闘技のように激しく動く武術を思い浮かべたりと、人さまざまでしょう。しかし、中国に伝わる「健康体操のようなもの」という共通したイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。

実は、私も古臭い中国式の体操程度のイメージしか持っていませんでした。ところが、縁あって現在の師である橋逸郎先生に出会い、先生の太極拳教室に入ってみると、その認識がとんでもない問違いであることに気づいたのです。

橋先生は、実技指導とともに、その理論的解明に取り組む"知行合一"の研究者です。太極拳の動きのメカニズムは、実に合理的で理論的に裏づけられた、ホリスティック(包括的・全人的)なものだと学びました。この科学的な根拠を基に太極拳を見直せば、単に健康を増進し病気を予防する東洋の伝統的な養生法にとどまらず、病気の治療法や介護の手法として臨床応用できるのではないかと私は考えました。

早速、患者さんや家族の皆さんに、養生の基本である腹式呼吸とともにスワイショウをしてもらったところ、肩こり・頭痛・腰痛・生理痛・便秘・冷え性の改善をはじめ、高血圧や糖尿病などさまざまな病気の養生法としても予想以上の効果がありました。ではスワイショウとは何なのでしょうか?
スワイショウ
中国語では「用」に似た字と「手」と書きます。腕や手をポーンと放り投げるという意昧です。
イラストのように、手を振ったり、回転させるだけの実に簡単な運動ですから、手を振るスペースさえあれば、患者さんや体力のない方でも気軽にできます。

やり方は、両足を肩幅に開き、つま先がまっすぐ前に向くように立ちます。ひざは軽く曲げます。「前後」のスワイショウは肩とひじの力を抜き、両手を一緒にぶらんぶらんと振ります。一回五分程度から始めて、一日に二、三回行います。「回転」のスワイショウは胴体をウエストの位置で左右にひねり、胴体のひねりに合わせて、両手をでんでん太鼓のように左右に振ります。一回に往復十回ぐらいから始め、三十〜四十回を目安にします。一日に何度行っても構いません。

効果は、自律神経系の副交感神経が活性佗されるため、全身の血流が促進され内臓の働きが活発となり、知らぬ問に足腰が強くなって心身ともにリラックスします。回転することによりウエストが引き締まります。いま私は、スワイショウを体の養生の基本中の基本としてその普及にカを入れています。

  

17回「賢い患者学(2)
 十月に「賢い患者になるには、まず西洋医学の“診療のしくみ”をよく知るべし」といった趣旨を述べましたところ、読者や患者さんから「医療のしくみがわかったとしても、あくまで受身である患者として、どう行動したらいいのか?」といったご質問がありました。 

そこで、お答えになるかどうかわかりませんが、今回は私が「賢い患者学」の実践に参考になると思う事例を紹介します。世の中には自覚症状がなくても健康診断や人間ドックで疾患が見つかって「患者」になる人たちがいます。ところが一方には、疾患があるにもかかわらず医療機関に行かず「病人」のままで「患者」にならない方たちも少数ですがおられます。

沖縄には非常に長生きのお年寄りが多いことは周知の事実ですが、そこの元気な老人に「長生きの秘訣は?」と尋ねると、「病院に行かないことだ」と答えたそうです。これは病院に行って疾患を発見されたら、患者という“役割”を果たさなければならない現代の医療のしくみを皮肉っているかのような話です。私はまるで西洋医学の常識である「早期発見・早期治療」という考え方を否定するかのような沖縄の長寿者の言葉の中に、賢い患者としての智慧ある行動のヒントがあるかもしれないと思いました。

また以前、百歳の元気いっぱいの双子姉妹として有名になったきんさん、ぎんさんのうち、きんさんが魚の骨をのどにつかえさせて入院したことがありました。その際、きんさんはひっかかっていた魚の骨だけ取り除いてもらって、さっさと退院されたと聞き、私は「さすが、智慧者きんさんだ!」と思ったのでした。

「入院されたついでに、健康診断でもされたらいかがですか?」という善意と好奇心に満ちた誘いに乗って、もし全身をくまなく検査したら、いかに元気いっぱいのきんさんとはいえ百歳を越えた超高齢者ですから体中に数え切れない異常、例えばがんの一つ、二つは発見されたかもしれません。

それを、自分が異常を感じたところだけ治してもらい、さまざまな「疾患」を持った「患者」になる前に速やかに退院したというのですから、これこそ沖縄の長生きのお年寄りと同様、智慧ある賢い人の生き方、身の処し方だなと思ったのです。

西洋医学ではがんのような重大な疾患の疑いが持たれた場合、直ちに精密検査を行ない診断を確定し、治療法を決定しなければなりません。ただ、診療システムとしてはやむを得ないとはいえ、高齢者にとってこれらの精査が結構心身の負担になっているのも事実です。沖縄の長寿老人やきんさんが医療のしくみを知った上で行動しているとは到底思えません。おそらく、経験と勘に基づいた“生きる智慧”によるものでしょう。

しかし、日本の大多数の国民が、沖縄の長寿者やきんさんたちのように、一生の大半を医療機関にかかることなく“病い知らず”に過ごせるとはとても思えません。 残念ながら高齢化社会の現実の姿は“無病息災”とはいかず、“多病息災”あるいは“病と共に生きる”といった風に表現した方がしっくりきます。

 とすれば、西洋医学の診療を受ける患者としては“医療のしくみ”を知り、疾患に関する情報を集めると共に、「医療といかに賢くつきあうか?」について一人ひとりが智慧を働かせることが必要ではないでしょうか?
今後もこの連載の中でそのヒントを提示していくつもりです。


  

18回 免疫とは?

 今回は「免疫」という何となくわかったようでいて、いざ説明するとなると案外難しい医学用語を解説しましょう。

 私たちの体は常時,一億種ともいわれる細菌やウイルスにさらされています。がんの基になる異型細胞も毎日発生しています。それでも私たちは簡単には病気にならずに健康状態を保っています。また,たとえ病気やケガになったとしても,体は自らそれらを治したり,修復しようとします。

この目に見えない大きな力は私達が生きていく上で欠くことのできない根源的な力であり,かつては「治癒力」と呼ばれていました。「病気になる」とは,この治癒力が働いている状態であり,「死」とは治癒力が働かなくなったことと言い換えられます。この治癒力の中で私たちの心身を常に守ってくれている生体防御の力のことを西洋医学では「免疫力」と呼びます。

無数の微生物やがんなどとそれに対抗する免疫力との微妙なバランスの上に,私たちの生命は維持されているのです。従って, 何らかの原因でひとたび免疫力が低下すると病気になり,がんの発症も例外ではありません。ところが,近年の免疫学の目覚しい進歩は免疫という現象が時に生体に不利に働く場合があることを明らかにしました。

免疫学の第一人者、多田富雄東大名誉教授によれば、「免疫とは『自己』と『自己でないもの=非自己』を識別し,『非自己』を排除して『自己の全体性』を守るシステム」のことをいいます。少し難解な表現ですので,私流に言い換えると「免疫とは元々自分の体内にあったものと,なかったものを判別し,なかったものを排除して自分という『いのち』を守る働き」のことです。

免疫は従来考えられていたように、単に細菌やウイルスなどの微生物から体を守る生体防御のための働きだけではないのです。では,どこがどのように違うのでしょうか?確かに身体の『自己』が監視・維持されることにより免疫というシステムが強力な生体防御の役割を担っていることに間違いはありません。

ただし,免疫反応は常に生体を守り,有益に働くとは限らないのです。近年増加の一途をたどる花粉症などのアレルギー疾患や自己免疫疾患,がんは,この免疫というシステムの「負」の一面を示す代表的疾患といえましょう。これらは無数の複合的要因,たとえば地球環境の悪化や現代社会の構造的なストレスなどにより免疫の識別システムに狂いが生じたものです。

本来『自己』であったはずのものが『非自己』と認識され免疫システムの攻撃の対象となる一方で,すでに『非自己』であるはずのものが『自己』と識別され排除されずに増殖した疾患群と言い換えられるかもしれません。尚、『自己』であるかどうかの識別の基準は遺伝子情報ですが、遺伝子に刻まれた“記憶”は自分一人の経験に止まらず、両親につながる祖先の膨大な経験の蓄積なのです。
 
このように,私たちは免疫という生命現象のしくみを知れば知るほど生命科学の域を越えて『自己とは?』あるいは『自己の全体性とは?』という究極の問いに触れざるを得なくなるのです。


19回 免疫活性化のカギは

 毎日,私のクリニックには免疫力など治癒力の活性化を目的として多数のがん患者さんが来院されています。
私はこれらの患者さんに標準的な西洋医学の診療以外に「ホリスティック医学」という人間の体だけでなく心,魂さらには環境などを全体的に“まるごと”に見つめる考え方による「療養」つまり「治療」の実践と「養生」の指導をしています。

当クリニックの治療を受けながら,一所懸命に養生に励まれている数多くの患者さんを長年診てきた経験から確信を持って言えることがあります。ひとつは,西洋医学的に末期がんと言われた患者さんに起こる“奇跡”としか言いようがない治癒例や長期にわたるがんとの共存例が決して珍しくはないということです。

患者さんの内なる治癒力が最大限に発揮されれば,がんをいわゆる“休眠状態”にしてがんと共存する可能性はどんな患者さんにもあると思います。二つ目は,西洋医学の標準的治療法を受ける場合に,たとえ強い副作用がある抗がん剤治療であっても補完療法として正しい養生を基本に免疫強化療法と効果・効能が確認された機能性食品をうまく組み合わせれば,抗がん剤の単独治療とは全く異なった成果が得られるという事実です。

免疫力を下げることなく抗がん剤の副作用を抑えつつ,その働きを最大限に引き出すことができるのです。三つ目は,主治医から「末期がん」あるいは「治療不能状態」と言われたとしても諦めることは全くないということです。 まず,患者さん自身が望みを捨てずに「絶対に治すぞ!!」という強い意志を持つことが非常に重要です。なぜなら,私たちの内にある治癒力の中で最大にして最高の力は「気力・精神力」だからです。 

患者さんにとって何よりも大切なのは自らの治癒力を信じきる心です。高血圧の“黒幕”と考えられる酵素「レニン」の遺伝子解読に成功した世界的な科学者,村上和雄筑波大名誉教授は遺伝子の働きは決して固定されたものではなく,人間の意識と『場』(環境)次第であり,一人ひとりの想いや行動と『場』の力が遺伝子のスイッチのON,OFに多大な影響を及ぼしていると述べています。

要するに,がん遺伝子やがん抑制遺伝子が働くか否かには意志の力が大きな要素になっているということです。患者さんの「治るぞ!絶対治すぞ!!」という強い想いと信念、前向きな行動,さらにその『場』の力ががんの遺伝子の働きを変える可能性があることを科学が実証し始めているのです。

最後は,患者さんを支え続けるサポーターや応援団の重要性です。患者さんを中心に家族,医師を始めとする医療者,補完・代替療法家そして友人の方々などで形成するネットワークの大切さです。 この応援団のサポートを受けながら,患者自身が強い意志と信念を持って日々の養生と免疫強化のための治療を続けるならば,たとえ「余命六ヵ月の末期ガン!」と宣告されようと治癒や長期生存の可能性は大いにあるのです。








































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