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この度 恒川 洋(恒川クリニック院長・東海ホリスティック医学振興会会長)が『がん治療に?を感じたときに読む本』(ライフ企画刊)を4月に出版することになりました。 私は、十三年前に消化器病専門医から開業医に転身して以来、多数のがん患者さん、とくに再発・転移がんなど現代西洋医学では「末期がん」あるいは「治癒不能」と宣告された方々の個別的で多様な生き様・死に様を通して、多くの学びと気づきを得ました。
この本は、これらの患者さんたちの忘れ得ぬエピソードを中心に、現代のがん治療の限界や問題点、新しいがん治療法の紹介、二十一世紀の医療における「ホリスティック医学」の重要性などにつき述べたがん患者さんへの“応援歌”です。 ご関心のある方は発売後に書店にてお求め下さい。
平成十四年二月吉日

プロローグ
「もう手の施しようがありません」、「絶対に治りません」、「余命1ヶ月!」などと主治医から宣告されたという患者さんや家族の皆さんの相談に乗る日々が続いています。
私は患者さんたちが語られる言葉の端々から、現代の『がん診療の限界と問題点』がくっきりと浮かび出てくるように感じます。同じ医者という立場からすれば、「本当に主治医がそんなことを言ったのだろうか?」と、一瞬わが耳を疑いたくなるような内容ばかりです。しかし、どんな言い方であったにせよ、患者さんたちがそう受け取り、奈落の底へ叩き落されたように感じたことは紛れもない事実なのです。
いま、多くのがん患者さんたちの心の奥底には、「この診療は何のために行なわれているのか?」
「がんという病いを抱えて今後どう生きていったらいいのだろうか?」といった患者が聞きたい肝心なことには一切答えず、ただ黙々と検査や治療を計画・遂行し、ようやく口から出た言葉が『死の宣告』に等しいような苛酷極まることしか言わない医者に対する憤りと恨みが渦巻いています。残念ながら、これが現代日本のがん診療の現場の偽らざる姿なのです。
最近ようやく、医療側にも現在のがん診療の問題点を指摘したり、患者主体の診療のあり方について論議する兆しが現われてきました。 しかしながら、多くの医療機関では、まだまだ医療者本位の、固定観念に支配された診療が堂々とまかり通っているのではないでしょうか。
ところで一方、がん診療の現場からがんの医学的研究の方に目を転ずると全く違った、眩いばかりの光景が見られます。近年の現代医学の進歩はめざましく、とくに分子生物学や遺伝子工学、細胞工学といった新しい学問の登場により、がんの生物学的性質が明らかになってきました。がんの発生・増殖・転移などに関するメカニズムが次々と解明され、それに伴う新しい診断技術の開発のスピードも目をみはるものがあります。
がんに関する医学的研究は予想をはるかに越え、まさに日進月歩の勢いで進んでおり、二十一世紀半ばにはがんは克服され、治る病気になると断言する研究者すらいます。しかし、前日本癌学会会長である黒木登志夫氏(岐阜大学学長・東大名誉教授)は、「二十一世紀に、がんは本当に克服できるのか?」という質問に対して、次のように答えています。
「がんを克服するためには、国民一人ひとりが『自分の健康は自分で守る』という意識を持ち、『予防と早期発見』に努めればがんは克服できるだろう。しかし反面、非常に治りにくいがん、つまり難治性のがんがあることも事実。これらにいかに対処していくかがゲノム情報の研究と並んで今後のがん研究のきわめて重要なテーマであり、難治性がんに対する治療法の確立なくしてはがんを克服したことにはならない」。
確かに、「がんとは何か?」がわかればその予防法が、「いかにがんを正確に診断できるか?」がわかれば早期発見が可能になるでしょう。そして、がんの予防と早期発見ができれば、治るがんが増えることは間違いありません。
ところが、私が毎日接している、残念ながら『予防と早期発見』ができなかった患者さんたちにとって、がんは克服可能な病気だと言われても、ピンとこない現実離れした話にしか聞こえないと思います。
このように、"医学の進歩"と"医療の現実"との間には予想以上に大きな隔たりがあるのです。がんの研究や診断のめざましい進歩が、治療成績に必ずしも結びついていないことが現代のがん診療の最大の問題点ではないでしょうか。
プロローグ2
人がよりよく生きるためには夢や希望を持ち続けることが絶対条件ですが、一方で現実を直視することも大切です
近年、西洋医学の三大治療法(手術・抗がん剤・放射線)と呼ばれる「がんの標準的治療」の限界と問題点が、明らかになってきました。
西洋医学単独による標準的治療の限界は、「5年生存率」の伸びの悪さと、がん治療のスローガンが"がんの撲滅"から"がんとの共存"へ移りつつあるところに如実に表れています。 一方、標準的治療の問題点とは、西洋医学の構造上の問題点と言い換えることができます。たとえば、"患者と医者の意識のズレ"であり、"がん診療の二極化による患者の切り捨て"などです。
私がこの本を書こうと決意したのは、これら現代のがん治療が抱える問題の根底にある西洋医学の構造の問題点を明確にして、私なりの"構造改革案"を提示してみたいと思ったからです。私は医者としても人間としても大した存在ではなく、どこにでもいる、ごく平凡な悩み多き町医者の一人だと思っています。もちろん、がんの専門家でもありません。
ただ、かつて消化器がんの専門家を自負していた時期もあったので、患者さんたちの悩み苦しむ心だけでなく、がんの専門家の気持も多少はわかるような気がしています。そこで、患者さんも医療者も、さらには家族も含めた医療のあるべき姿についても提言してみたいと思います。
そして、この本を書くことになったもう一つの大きな理由があります。それは、いま一度、患者さんそれぞれの内にある「力」を見直して、信じて欲しいということです。私は、この本の中で「治癒力」とか「内なる治癒の力」という言葉を、なんどもなんども繰り返し使っています。医療関係者や医学知識が豊富な読者の方々から、「治癒力」とはいったいどういった意味の言葉か明確な定義がない、イメージ的すぎて少なくとも医者の使うべき用語ではないなどの指摘や批判が出てくるかもしれません。
確かに医学用語辞典にも載っておらず、西洋医学の世界から消えてしまった(抹殺されたのかもしれませんが)この言葉を定義することは難しいことです。というよりも、西洋医学には、「治癒力」という言葉でしか表現できない根源的な「力」を表す適切な言葉がないと言った方が正確かもしれません。

プロローグ3
私のクリニックで取り組んでいる『療養』の目的は、「治癒力」の活性化、つまり「わが内なる治癒の力」を高めることです。『療養』とは、医療者は「診療」に全力を傾け、患者さんは日々の「養生」に励むことをいいます。日々の「養生」を積み重ねることによってしか、「内なる治癒の力」を高めることはできないのです。
そして、この「治癒力」が弱いままでは、いかなる妙薬も効き目を表さず、いかなる練達の外科医のメスをもってしても"病気"が治り、"病い"が癒えることはないでしょう。患者さんが自分自身の生きる力を信じて、その力を高めようとすることを私たちは「養生」と呼んでいます。
私は、病気は医者や薬が"治す"ものでは決してなく、患者自身の力で"治る"ものだと確信しています。つまり、医療者にとって"治せるか、治せないか"はきわめて重大な問題ですが、病気が"治るか、治らないか"は完全に患者さん自身の問題だからです。ですから、主治医から「もう手の施しようがありません」とか「絶対に治りません」、「余命1ヶ月」などと宣告されたとしても、絶望することは全くありません。
これらの宣告を正しく表現するとしたら、「私にはもう手の施しようがありません」であり、「西洋医学としては絶対に治せません」であり、「西洋医学的に診て余命1ヶ月」としなければならない筈です。いま、日本の患者さんに欠けているものは、己れのなすべきことは己れで決めるという心構えと、いかに生き、いかに死すかという死生観ではないでしょうか。いかに闘病するかを考えることは、いかに生きるかを考えることに他ならないからです。
また一方、医療者に欠けているものは、医療の主体は医療者ではなく、患者であることをしっかり認識し、患者の応援団、サポート役に徹し切ろうという固い決意と、西洋医学の方法論の限界と問題点から既成の医学観・医療観を見直すことだと思います。
十三年前、私は総合病院の消化器病の専門医から都会の一開業医に転身しました。
私のクリニックは無床の小さな診療所にすぎませんから、総合病院の頃のように西洋医学的な「がんの標準的治療」をきちんとできる状況にはありません。
しかし、日々の診療の中で、多くの標準的治療から見放されたがん患者さんと関わりを持つうちに、がんの専門的な診療はできなくとも何か私にもできることはないかと考えるようになりました。そして、十数年経った現在、私は「がんという疾患(病気)」の専門家にはとてもなれませんが、「がんという病い」を抱えて生きていかざるを得ない患者さんたちの応援団(サポーター)であったり、時にはコーチにぐらいにはなれるのではないかと思うようになりました。
したがって、この本はそんな町医者からの、がんという病いを抱えた方々への"応援歌"のようなものであり、決してがんという疾患の専門書ではないのです。私は現代西洋医学のがん診療の限界と問題点が明らかになったいま、患者の主体性を重んじ、その尊厳を守る"医療と養生"のあり方を、さまざまな患者さんの"ホリスティックな生き様・死に様"の紹介という形で、提言してみたいのです。 |

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